知ると「忍耐」が気持ちよくなる。「忍耐」「辛抱」「我慢」の違いとは?

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今回は、「忍耐」と「辛抱」、また「我慢」の違いについてシェアしたいと思います。

私はどれも同じく「辛いことに耐え忍ぶ」ことだと思っていたのですが、違いがあるようです。

これらの言葉はネガティブな感じがしてあまり好きではなかったのですが、ちゃんと意味を理解するとスッキリしたので忘れないように書いておきたいと思います。

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「忍耐」とは目標があって耐えている状態

忍耐とは、目標を持って耐え忍んでいる状態のことです。

例えば、料理人に弟子入りして厳しい修行にも耐えて技術を身につける。

いつか独立して自分の店を構えるという目標のために、辛いことがあっても耐えて頑張っている。これは忍耐といいます。

自分で選び、積極的にやっているという状態です。

「辛抱」とは目標がなく耐えている状態

辛抱は、嫌なことに不平も言わずに耐えている状態。

目標ももたずに、ただその場の苦痛に耐えている状態です。

例えば、ただそのときに我慢すれば丸く収まるだろうとか、争いになると面倒だからとかいう理由から耐えているということでしょう。

こちらは、忍耐と比較すると消極的でやらざるを得なくてやっている状態になります。

では、「我慢」とは?

忍耐・辛抱と似ている言葉で「我慢」という言葉もあります。

こちらはもとは仏教用語で、もともと

「自分が自分がと我が強く、こらえることができない」という意味で使われていました。

現代によく使われる「我慢」の意味とは正反対になっています。

現代での「我慢しなさい」のお説教は、本当の意味からいうと「自分の我慢に気づいて改めなさい」ということになります。

ちょっとややこしく分かりにくいかもしれませんね。

結局、一番良いのはどれ?

「辛抱」は嫌々やっているので、いつか心身を壊したり病気の原因なることさえあります。

ですので、できるだけ「辛抱」はしないほうがよいと思われます。

「忍耐」は自分の霊的成長・人格の向上のためには必要なものです。

私は少し前から「怒らない」という忍耐をしています。

仏教でいう忍辱(にんにく)の修行です。

「侮辱や苦しみに耐え忍び心を動かさない」ということです。

怒りが沸いてきても耐えます。

こういう忍耐は、「辛抱」と違い耐えられるとあとでとても気分がいいです。

自分のことを「良くやった」と褒めたくなります。

少しずつですが、耐えるたびに自分の成長を感じられて気持ちが良いです。

まとめ

  • 「忍耐」は目標があって積極的に耐えている
  • 「辛抱」は目標もなく消極的に耐えている
  • 「我慢」は元々の意味は我が強くこらえることのできない心のこと

楽に人生を生きるためには、忍耐して自分を向上させていけたらよいと思っています。

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