「あきらめる」月明かりでほんのりと物事を観る

当ブログではアフィリエイト広告を利用しています

「諦める」という言葉はどちらかといえばネガティブな言葉ですね。

辞書で調べると

【諦める】
とても見込みがない。仕方ないと思い切る。断念する。

とありました。

ですが「諦める」は本来は「明らかにみる」で、

それが転じて「明らめる」→「あきらめる」→「諦める」となりました。

さらに、「明」という漢字は元々は「朙」と書きました。

「囧」の部分は窓を表していて、つまり「明」は窓からの月明かりのことを意味しています。

仏教では「あきらめる」は現実をありのままに観察することを意味しますが、

窓からの月明かりで見るようにほんのりと物事を観ること、それが「あきらめる」ことだという解釈が気に入っています。

これは、ひろさちやさんの著書『ひろさちやのいきいき人生1 釈迦にまなぶ』の中の解釈です。

例えば…人の欠点はあきらめる。

つまり、月明かりで見るようにぼんやり、ほんのりと観る。

いちいちすべてをチェックして事細かに指摘したりせず…

人の欠点やちょっとしたミスは見過ごしてあげたりする。

おおらかな心で、欠点も受け入れてあげるのがいい。

そうやって日々過ごしたほうが、断然、人生生きやすいです。

欠点のない人間なんていないですしね、自分も欠点だらけなので。

許しあいながら生きられればみんながラクになれると思います。

この記事を読むことで、誰かのこころを少しでも楽にできたら幸いです。

タイトルとURLをコピーしました